a concert

仕事明けに帰宅すると早速風呂に入り帰省の準備をする。

予感めいた何かが今日、自分をかの地に向かわせる強い力を感じて。

桜の蕾も弾け始めた初春の東関道をハーレーで終点まで走り抜けると、
水郷の今や今やと躍動を始めた田園に洗われた風はすでに心地よく、
徹夜明けに寝ぼけ気味だった頭をすっかりクリアにし、
耳にはエンジンのちょうど良く温まったアイドリング音、
嗅覚は突然に目覚めて視界にはとたんに鮮やかな春の色合いが飛び込んでくる。



母校の演奏会をまともに聴いたのは実に久しぶりのことで、
(とはいっても、第2部は睡魔と格闘していた。)
第3部、チャイコフスキーの悲愴を聴いているとき、
今日この日にこの場所にいる意味がはっきりと認識できた。

ごく一部の人間にしかわからない仕掛けがその音楽には秘められてた。
そう、自分を含めた卒業生にしかわからない実体のない音楽。

かつて我々が高校時代に指向してきた、

“音楽性”なるもの“音楽的”なるもの、

当時はこの実体の掴めない何か、点、地点、のようなものを目指し
日々修練を重ねてきた。
我々としては納得のいく芸術性や音楽性の表現を精一杯にしてきたはずが、
いつも結果は伴うものではなかった。

少し感傷的になって思いを綴ると、それは記録には残らず記憶に残る、
そういった類のものであった。

それはそのポイントに向かう一筋のラインであったし、
ただ単に質量とエネルギーを備えたベクトルであったかもしれない。

いわば一次元的で、せいぜい二次元的な表現の結果というのは
不本意で自己満足的なものであった。


交響曲第6番「悲愴」 ロ短調 作品74 チャイコフスキー

結論からいうと、つまり我々を含めた諸先輩方がその礎を築いたきた
“音楽性”なるもの、“音楽的”なるものが、
なにか立体的な質をともない、まぎれもない“音楽”を形成していたのだ。

時期が来れば入れ替えが生じる組織にあって、
今も昔もさほど大差ない、や、今のほうがずっと減ってるであろう練習量をして
進化をしつづけたそれに、ただ単に驚嘆と感動を覚え、
自分たちが成し得てきたことの意味の重大さに気づかされ、
同時に、音楽の果てしない可能性に心の底から尊い気持ちが溢れた。

すべては、脈々と続く伝統という基礎の上に構築されてきた
我々の血と汗と涙の結晶であった。

演奏終了後、果たしてそのこと、その存在に、
気づいた人間がどのくらいいるのかはわからない。

自分はただ単に、目の前で起こったその事実(奇跡)を恩師に直接
尋ねずにはいられなかった。


「わかるひとにはわかる。
OBに一番聴かせたかった音楽。」


その答えだけで十分だった。
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  by gstomach | 2006-03-27 15:58 |

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