brain storming

転職を目前にしていろいろと考えを整理している。

2年限定で寄り道した飲食店の現場は、
期間限定でなければ到底耐えられなかったであろう悲惨な
経験を積ませてもらえた。毎日が修羅場だった。
何度も何度も人間や人格を否定、破壊され、そのつど自分を失い
最近ではすっかり自信や明確な意思、意識すらどこかへ無くしてしまっていたほどに
焦燥しきっていた。

そのような状態でとても結果を残せるようなクリエイティブな仕事など
生まれるはずもなかった。

極限だった。

それだけに人として一番失ってはいけないものを
確信して自分の内にしかとつなぎとめることもできた。

もちろんそれと同じくらい楽しみや喜びを見つけられた。
このまま料理人のままでいいかもしれないとすら思ったこともあった。
自分のできる範囲の、せいぜい5,60席のレストランをオープンして
自分の好きなお客さんを集めてそれなりに毎日楽しく過ごす道も考えた。

しかし、商売の現実を知れば知るほどその道の延長線上にある自分の
過った、魔が差したビジョンはどんどん下方修正されていった。





本来のクリエイティビティと自信に満ちた自分の姿はどこへ?





そうした自問自答を繰り返すこと半年。

都合により若干早まった退社のおかげで、
新しいことに思いを巡らせる余裕ができ、まるで堰を切ったかのように、
今まで心の奥底にしまいこんでいたアイデアが溢れ出す。


この2年単に寄り道しただけの無駄な時間ではなかった。


新しい視点を手に入れた。

それはまるでシナプスが脳内で新たな回路を形成するがごとく、
あたかもそう知っていたかのように自分のうちに存在する。

いままで漠然と描いていたイメージがくっきりと実像を結ぶ瞬間、
まさに暗闇で相手を探してさまよう手が何かを掴んだ瞬間、
メールでしかやり取りしたことがなく勝手にイメージしていたあの人の人となりを
実際に会って確かめたかのような瞬間。

そのような感覚。





職能は社会に貢献するべく職業として成り立たねばならない。
そのとき建築家という職業が受身であってはいけないと思った。

自らがクリエイトした建築物を自らがマネジメントする方法を思い立ち
ビルオーナーや商業施設の管理などを考えた。
しかしそれではただの不動産屋。

そこで経験とノウハウのあった飲食店に着目した。

一般生活に最も近いサービス業にどっぷりと浸かることで
人に奉仕すること、社会に奉仕すること、地域の活性化に貢献することを
自分の内に強く思うようになった。


まちづくりに行き当たる。


まちをつくるのは都市計画家でも行政でもない。

人だ。


例えば、鄙びた商店街を蘇らせるために、我々がしばし用いる
人々のアクティビティを誘発するため、に、何かを仕掛ける。


その何かとは?


何かしらの集客施設?流動の結節点?




否。

それはそもそも人々がそれを目的にやってくるような代物ではないのだ。



ではアクティビティとは何か?




今なら自信をもってこう答える。





アクティビティとは生活である。と



まちは人が生活することによってつくられるのだ。


ならば自分がすべきは人の生活に役立つことだ。
より良い住環境のために精一杯のエールを送り続けることだ。


人の生活の基盤である“住まい”に重点を置きながらも
生活に活力と潤いを与える商用スペースを提供すること。


建築家の職能を不動産業というあり方で職業化すること。
そこにスパイスを効かせてうまく調理するのが料理人の職能。

これが今の段階で描きうる近い将来のビジョン。
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  by gstomach | 2006-10-08 06:26 |

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