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Abstruct

最近自己啓発系の本を読み漁っているのは、
自分の友人の一人がここ一年くらい口にする言葉が抽象的過ぎて
ぺらぺらで胡散臭くて表層的すぎる状態をみて、彼の没頭している自己啓発本が
なぜそのような影響力を持ったかについてリサーチをしているのだ。

いわゆる世に出回る名著としての自己啓発本は、
やはり内容自体が抽象的で、いかにも素敵に書いてあるけれど、
それ自体が日常や経験の抽象化された概念である以上、
各人地道にそこにたどり着けることこそあれ、
いきなりそれらの結論としての概念を逆に刷り込まれては
当然大いなる誤解が生まれようというもの!!

友人は「すべての他人を愛さなければならない。」
と口にしてから、彼のやっていることといえばまさに
似非がふさわしい言動。
なんでも許容するとかそういうことじゃないだろう。

たとえば「集中しなければいけない。」
と言ったかと思えば、それはただの猪突猛進であってまったく
周りが見えなくなっていたり。

たしかにあの手の本には、愛だの集中しろだのもっともらしいことが
書いてあるけれども、やはり実際に経験して体で理解したもので
ないと言葉を表層的に舐めただけじゃ逆効果だ。
なんでもそうだと思う。

大体この場合の「集中」とは、
企業戦略的に見れば多角化、コングロマリット化を控えて自社の強み、
コアコンピテンスを伸ばそうじゃないか、という一種の指針であるとも考えうる。
単に意識を集中するとか一元的なものの見方ではないと思う。
そもそも抽象概念とはそういうもので、あらゆる事象の共通項的性質から
日常の様々なことに応用可能でなければならない。

自己啓発本は自己変革というよりは、日々の反省にコーヒー啜りながら読むくらいが
ちょうど良い。間違っても線を引いたり付箋を貼ったりしてはいけない。
ぱっと見珠玉の名文に見えるかもしれないそれには、
読み手にそれなりの人生経験と思考力、分析力の高さを要求する。
まったく準備なし基礎知識、基礎体力なしでそれらの文に出会ったのなら、
それらは単なる迷文にすぎない。(うわぁ・・・)


批評するにはまず批評する対象をよく知ることから。


5年位前創○学会の学内会議に連れてかれ15人くらいに囲まれて
入信させられそうになったとき、最大の武器となたのは日々の読書と分析による
知識と自分なりの解釈の賜物であった。
結局15人全員を黙らせて悠々自適にその場を後にしたのを思い出す。

  by gstomach | 2005-02-25 12:42 |

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